麻高 應援歌・應援旗について
應援歌、應援旗いついてお話するにあたり、麻高應援團指導部の創部に至る歴史をご紹介する事で、より應援歌・應援旗の存在の意味がご理解いただけるかと思います。
應援團とは・・・(麻高の定義)
麻高の仲間を応援する全ての学生・教職員・保護者の総称です。
・應援していいただける全ての人
・應援團を指導する應援團指導部 ・應援をサポートする、
バトン部
ブラスバンド部
以上のメンバーの構成で成り立っています。
應援團の定義は應援團=應援部ではありません。
母校の仲間の力になれる様、應援する人達の力を結集し、應援のパワーを導く為、應援團指導部として、應援のリードをする存在です。 苦しい時こそ應援が必要で有り、苦しい局面からプラスに転じる精神力は、自らを律し、常日頃の厳しい練習を重ね事により生まれる。
そうした練習から、活躍する選手との連帯感が生まれ、應援團の真のエールを届ける事ができると信じています。
「麻高を愛し、自らが模範生であれ」が應援團指導部の教えです。
應援大團旗
念願の團旗を初じめて掲げる!
應援團指導部の沿革
應援曲 | 「THE 麻高」 チャンスが到来!ブラスバンドの軽快なマーチのリズム乗せて、ASAKO麻高!の掛け声を飛び道具として應援團のリーダーの拳が炸裂します! |
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應援曲 | 「Let's GO! 麻高」 ブラスのフンファーレが鳴り響!いよいよチャンス到来を告げます!ファンファーレから、他の応援曲へメドレーとして繋いで行きます。 |
應援曲 | 「チャンスだ麻高!」 法政大学の応援曲をアレンジさせて頂き使用させていただいています。スタンドが一丸となってチャンスを演出することのできる男らしい應援曲です。 |
当時のバトン部の歌詞カードです!
応援團團旗について
応援團團旗は、応援團の魂としての存在です!まだ団旗がなく、眺旗用の校旗しか無い時代にどれほど、團員が応援團のシンボル大団旗を掲げたかったか!
その強い思いから、卒業後1期生2期生の応援團OBが、それぞれにアルバイトに励み、当時一人あたり1万円〜程度の寄付を募り、念願の団旗を寄贈する事ができました。、真新しい大きく立派な団旗を初めて学校の中庭で掲揚し、風になびく團旗の姿が感動的でした。 球場のはためく大団旗は、麻高の応援のシンボルとして、今尚その重厚な存在に感銘を受けます。
創部3年目夏の大会
対県相戦 エールの交歓
昭和51年 対 藤商戦
昭和53年壮行会から!
麻高オリジナル演舞台
夏県予選開会式!
風格が出てきた初代應援大團旗